日本歴史地名大系 「河堀口」の解説
河堀口
こぼれぐち
四天王寺の南東部、
「続日本紀」延暦七年(七八八)三月一六日条に、摂津大夫和気清麻呂が河内・摂津両国境に川を掘り、堤を築き、「荒陵」の南より、「河内川」を導いて西方の海へ通ぜしめ、沃野の開墾を図らんとする旨を上奏、清麻呂が工事責任者となり二三万余人が工事に従ったという記事がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
四天王寺の南東部、
「続日本紀」延暦七年(七八八)三月一六日条に、摂津大夫和気清麻呂が河内・摂津両国境に川を掘り、堤を築き、「荒陵」の南より、「河内川」を導いて西方の海へ通ぜしめ、沃野の開墾を図らんとする旨を上奏、清麻呂が工事責任者となり二三万余人が工事に従ったという記事がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...