中小路町(読み)なかしようじまち

日本歴史地名大系 「中小路町」の解説

中小路町
なかしようじまち

[現在地名]博多区上呉服町かみごふくまち

店屋てんや町の通りに面する両側町。蓮池はすいけ町の通りを境に西はうお町上まちかみに続き、東は西門さいもん町に続く(福岡博多近隣古図)。古くは中小路町上・中小路町下に分れていたが(続風土記)、のち中小路町の一町になった(続風土記附録)。天文一二年(一五四三)の安山借屋牒(聖福寺文書)によると、聖福しようふく寺境域の寺内町として「中小路、桶大工居屋敷」とみえ、借屋七七軒、主として借屋人は職人であったようだが、間数は「従西至東境五十二間三尺五寸 従東至南境五十五間」であった。


中小路町
なかしようじまち

[現在地名]天王寺区逢阪一丁目・伶人町

四天王寺西方にあり、「大阪市史」付録の天保一四年(一八四三)大坂図(考証地図)によれば東をたて町、西を今道いまみち町・光堂ひかるどう町、北を楽人がくにん町と接している。「宝暦町鑑」天王寺村町名寄のうち幕府領分に名がみえ、「天保町鑑」に幕府領分は「丁名にて通用すべし」とあるので単に私的名称としての町ではなく、法制的にあるいは支配のうえで公認された名称であったかと思われる。江戸後期、同じく幕府領分の堀越ほりこし町と久保くぼ町で町単位の宗門改帳が作成されていることからも右の推測が裏付けられよう。「大阪府全志」によれば当町は遊所で美濃屋・春日屋などの料理屋が軒を並べ、四天王寺への参詣客などで賑った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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