朝日日本歴史人物事典 「河尻秀長」の解説
河尻秀長
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。秀隆の子。通称与四郎。直次,宗久とも称した。肥前守。豊臣秀吉に仕え,小牧・長久手の戦,九州攻め,小田原攻めなどの諸戦に参加。文禄1(1592)年の朝鮮出兵の際には,肥前国名護屋に在陣した。慶長4(1599)年美濃国苗木城(岐阜県中津川市)城主となり,1万石を与えられる。翌5年の関ケ原の戦では石田三成率いる西軍に属し,伏見城攻撃に参加。主戦場において戦死した。一説には捕らえられ近江国膳所で斬首されたとも伝える。
(堀内亨)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報