山川 日本史小辞典 改訂新版 「九州攻め」の解説
九州攻め
きゅうしゅうぜめ
1587年(天正15)豊臣秀吉が島津氏を破り,九州を平定した戦。日向国耳川の戦で,島津氏に圧迫された大友氏に救援を依頼された秀吉は,島津氏に講和をすすめたが不調に終わった。島津氏は86年12月12日,豊後国戸次(へつぎ)川の戦で勝利してほぼ豊後全土を制圧。87年3月,秀吉は九州へ進発し,みずからは肥後路,弟秀長は日向路に軍を進め,4月1日筑前秋月氏の巌石(がんしゃく)城を落とし,17日,日向国根白坂で島津義久を破った。戦意を失った義久は,剃髪して秀吉の本陣である薩摩国川内(せんだい)泰平寺を訪ね降伏。秀吉は薩摩を義久,大隅をその弟の義弘に安堵。帰路,筑前国箱崎で論功行賞を行い,豊後を大友義統(よしむね),筑前を小早川隆景,肥後を佐々成政に与えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報