河崎観音堂跡(読み)かわさきかんのんどうあと

日本歴史地名大系 「河崎観音堂跡」の解説

河崎観音堂跡
かわさきかんのんどうあと

貞観年間(八五九―八七七)に壱演(一演)が建立したと伝える堂(元亨釈書)。現存しない。中昔京師地図では一条の末、かも川の西岸に記され、現京都市上京区梶井かじい町にあたる。一条河崎観音寺とも称し(山州名跡志)感応かんおう寺と号した(山城名勝志)。一条東京極ひがしきようごく(ほぼ現在の寺町通)東の鴨川西岸河原を通称河崎という(山城名勝志)。「今昔物語集」巻二四に「只北ノ東ニ川崎ト申ス所ニ、人ノ普賢講行ヒ候ツル伽ニ付テ、笛ヲゾ終夜吹キ候ツルト」とみえ、「明月記」建永元年(一二〇六)六月二七日条に「今月御幸川崎泉」と土御門天皇の渡御の記事がある。河崎はかつて平安京北東地域の、法成ほうじよう寺をはじめとする寺院貴族邸宅への鴨川からの取水口であったと推定され、「泉」は取水口辺の景観を示すものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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