河股城跡(読み)かわまたじようあと

日本歴史地名大系 「河股城跡」の解説

河股城跡
かわまたじようあと

[現在地名]川俣町東福沢

川俣町役場の南方約一キロ、俗称たてやま一帯に立地。標高三三二・七メートルの本郭から眼下に川俣の町並梁川やながわ町・三春みはる町・相馬市に至る道が眺望できる。主郭は本郭を中心に二の郭・三の郭・水の手みずのて郭・庭などで構成され、空堀で区画された田村たむら館・北郭・南郭・西郭が外縁部を防備する。戦国時代末期の川俣地方(小手郷)は、伊達氏領の南端にあたり、東は相馬氏領、南は東安達の大内氏領に接していた。当城は、伊達政宗の仙道(中通り)制覇へ向けての重要拠点として、天正一二年(一五八四)頃政宗の部将桜田資親が築城したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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