中国の貨幣、永楽通宝のこと。明(みん)の成祖(せいそ)の治世、永楽年間(1403~24)に鋳造された銅銭。「永楽」「永銭」「永」ともいう。足利義満(あしかがよしみつ)のころからわが国に多く輸入され、室町時代から江戸初期にかけて標準貨幣として重んぜられた。戦国時代に後北条(ごほうじょう)氏をはじめ関東の大名が永楽銭を貨幣使用の基準としたことなどにより、関東地方でとくに珍重された。江戸時代初めに幕府は金1両の比価を永楽銭1貫文、鐚銭(びたせん)4貫文と公定したが、1608年(慶長13)永楽銭の使用を禁止した(禁止の年には異説もある)。永楽銭には、日本および明でつくられた模造銭がある。また豊臣(とよとみ)秀吉は賞賜用に金銀の永楽通宝をつくったというが、明らかではない。
[百瀬今朝雄]
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…日本へも大量に輸入された。【稲葉 一郎】
[永楽銭の輸入と流通]
1401年(応永8)最初の遣明使に従い入明した仲芳中正は楷書をよくし,成祖の命で永楽通宝の銭文を書いたと伝える。明では諸国の朝貢船の進貢物に対し頒賜物があり,また積載した貨物を買い上げたが,頒賜物の中に銅銭があり,買上物の代価に銅銭をあてた。…
…ついで760年(天平宝字4)発行の金貨開基勝宝は1枚をもって同年発行の太平元宝(銀貨)10枚,また太平元宝1枚は同年発行の万年通宝(銅貨)10枚に相当するという交換割合が規定された。江戸時代に入って,幕府は1608年(慶長13)12月,永楽銭1貫文=鐚銭(びたせん)4貫文=金1両とし,翌年には金銀銭貨の比価を金1両=銀50匁=永楽銭1貫文=京銭(鐚銭と同義語)4貫文とした。1700年(元禄13)11月には金1両=銀60匁=銭4貫文と改定され,これが幕府の法定相場として幕末まで維持された。…
※「永楽銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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