河越重頼(読み)かわごえしげより

精選版 日本国語大辞典 「河越重頼」の意味・読み・例文・類語

かわごえ‐しげより【河越重頼】

  1. 平安後期の武将桓武平氏秩父氏一族武蔵国入間郡河越(河肥)荘(現在の埼玉県川越市)の人。頼朝挙兵を助けて、数々の軍功を挙げた。また、頼朝の仲介により、娘を義経に嫁したが、義経の没後その縁を理由に頼朝に討たれた。文治元年(一一八五)没。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河越重頼」の解説

河越重頼 かわごえ-しげより

?-1185 平安時代後期の武将。
武蔵(むさし)河越荘本拠とする。治承(じしょう)4年の源頼朝挙兵の際,頼朝方三浦義明を攻めるが,のち頼朝にしたがい,源義仲追討一ノ谷の戦いに功をたてた。文治(ぶんじ)元年頼朝による源義経の追討がはじまると,娘が義経の妻であることから同年11月殺された。通称は太郎。

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世界大百科事典(旧版)内の河越重頼の言及

【川越[市]】より

…武蔵野台地北端から入間川,荒川の沖積低地にまたがる。鎌倉時代に河越重頼の館が入間川西岸低地の上戸に築かれ,15世紀中ごろには台地北端に河越城が築城されて,城下町川越の歴史が始まった。江戸時代には江戸北方の要の城として重視され,城主に松平信綱や柳沢吉保など譜代の重臣が配置されたこともあって,川越街道や新河岸川によって江戸との交通も盛んになり,〈小江戸〉といわれるほどに栄えた。…

※「河越重頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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