日本の城がわかる事典 「河越館」の解説 かわごえやかた【河越館】 埼玉県川越市にあった中世の城館。国指定史跡。今日の川越市街の北西部の入間川西岸にあった。坂東八平氏の一つの秩父氏一族の河越氏の居館で、平安時代末期に第2代の河越能隆が建設したとされる。河越氏は鎌倉幕府の有力御家人の一人で、室町時代初期(南北朝時代)まで大きな勢力を持っていたが、1368年(応安1)の武蔵平一揆を境に衰退し没落した。戦国時代初めの長享の乱(1487~1505)では、関東管領の上杉顕定が扇谷上杉氏の川越城(河越城、同市)を攻撃するため、この城館のあった上戸地区に7年にわたって陣を敷いたが、その陣所はこの河越館であったともされている。その後、武蔵国が小田原の北条氏の勢力圏となると、川越城の支城としての役割を果たしたのではないかとされる。『新編武蔵国風土記稿』には、上戸に北条氏家臣の大道寺政繁の砦があったとの記述があり、この砦が河越館と比定されている。また、1590年(天正18)の豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)の際、本城の川越城の落城とともに廃城になったと考えられている。現在、城域南東部は常楽寺の境内になっており、その付近には土塁や堀の一部が残っている。1971年から1975年にかけて、川越市教育委員会による発掘調査が行われ、平安時代末期から戦国時代にかけての遺構が発見され、これをきっかけに国指定史跡になった。東武東上線霞ヶ関駅から徒歩約15分。同川越市駅またはJR川越線西川越駅からバスで上戸下車、徒歩約15分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報