朝日日本歴史人物事典 「河野徳兵衛」の解説
河野徳兵衛
生年:宝暦13(1763)
江戸後期,甲斐国(山梨県)の豪農。八代郡夏目原村(御坂町)の長百姓で,諱は通如。農書『農事弁略』(1787)を著した。同書は宮崎安貞の『農業全書』に学びながら,近世甲斐における地域の老農の知識,経験と自身の実証により,肥料の施用や土壌の調合,作物の栽培などの方法について,地域的条件に適合した技術を正確に記したもの。自序に農事に対する精励を,のちの富栄と安楽の基としながらも,富んでなお刻苦に終始するのは自然の道に反すると「分限を知て相応のたのしみ可有事なり」と述べるが,後楽のひとつを丼々橋一作の俳号で知られたように俳諧に求めた。<参考文献>飯田文弥「『農事弁略』現代語・解題」(『日本農業全書』23巻)
(飯田文弥)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報