ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河野洋平」の意味・わかりやすい解説
河野洋平
こうのようへい
政治家。政治家河野一郎の二男。 1959年に早稲田大学政治経済学部を卒業し,丸紅飯田勤務などを経て 1967年父の死のあとをうけて衆議院選挙に出馬し,初当選。以後 10回連続当選。自由民主党では河野派を継承した中曽根派に属し,文部政務次官を務めたが,田中角栄首相の金脈問題をきっかけとして政治浄化,保守二大政党論などを提唱して 1976年に自民党を脱党,新自由クラブを結成し,みずから党首となった。しかし新党ブームのあとは低迷し,1985年には科学技術庁長官に就任したが 1986年8月に衆参同日選挙の敗北,資金難などを理由に新自由クラブの解党宣言を行ない,自民党に復帰。宮沢喜一派に所属。 1992年 12月の宮沢改造内閣で内閣官房長官を務め,翌 1993年8月には宮沢総裁のあとを受けて自民党総裁に就任した。 1994年6月成立した自民党,日本社会党,新党さきがけによる村山富市連立内閣で,副総理および外務大臣に就任し,1996年1月村山首相辞任とともに退任。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報