河野洋平(読み)こうのようへい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河野洋平」の意味・わかりやすい解説

河野洋平
こうのようへい

[生]1937.1.15. 神奈川,平塚
政治家。政治家河野一郎の二男。 1959年に早稲田大学政治経済学部を卒業し,丸紅飯田勤務などを経て 1967年父の死のあとをうけて衆議院選挙に出馬し,初当選。以後 10回連続当選。自由民主党では河野派を継承した中曽根派に属し,文部政務次官を務めたが,田中角栄首相の金脈問題をきっかけとして政治浄化,保守二大政党論などを提唱して 1976年に自民党脱党新自由クラブを結成し,みずから党首となった。しかし新党ブームのあとは低迷し,1985年には科学技術庁長官に就任したが 1986年8月に衆参同日選挙の敗北,資金難などを理由に新自由クラブの解党宣言を行ない,自民党に復帰。宮沢喜一派に所属。 1992年 12月の宮沢改造内閣で内閣官房長官を務め,翌 1993年8月には宮沢総裁のあとを受けて自民党総裁に就任した。 1994年6月成立した自民党,日本社会党,新党さきがけによる村山富市連立内閣で,副総理および外務大臣に就任し,1996年1月村山首相辞任とともに退任

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野洋平」の解説

河野洋平 こうの-ようへい

1937- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和12年1月15日生まれ。河野一郎の次男。河野太郎の父。昭和42年衆議院議員に初当選(当選14回)。51年ロッキード事件を批判して自民党から離党,新自由クラブを結成し代表となる。のち自民党と連立内閣をくみ,科学技術庁長官。61年復党。平成4年内閣官房長官,5年党総裁に就任。6年社会党と村山連立政権をつくり副総理,外相。第2次小渕内閣および第1次・第2次森・第2次森改造内閣の外相もつとめ,15年衆議院議長。21年引退。神奈川県出身。早大卒。

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367日誕生日大事典 「河野洋平」の解説

河野 洋平 (こうの ようへい)

生年月日:1937年1月15日
昭和時代;平成時代の政治家。衆院議長;衆院議員;日本陸上競技連盟会長。元・外相;自民党総裁

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の河野洋平の言及

【河野一郎】より

…しかし64年秋,ポスト池田の自民党総裁指名でライバル佐藤栄作に敗れて政権の夢は消え,翌年急死した。参議院議長を務めた河野謙三は弟,新自由クラブを結成した河野洋平は長男。【内田 健三】。…

※「河野洋平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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