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河野通朝 こうの みちとも

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河野通朝 こうの-みちとも

?-1364 南北朝時代の武将。
河野通盛(みちもり)の子。父とともに北朝方としてたたかい,貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年家督をつぐ。伊予(いよ)(愛媛県)への進出をねらう讃岐(さぬき)(香川県)の細川頼之(よりゆき)と対立,貞治3=正平19年本拠の世田山城を攻められ,11月6日討ち死にした。通称は毘沙丸,対馬六郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

河野通朝

没年:貞治3/正平19.11.6(1364.11.29)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。通盛の子。通称六郎,または対馬六郎,のちに 遠江守を名乗る。父引退の後を受けて伊予国(愛媛県)の豪族河野氏の家督を継ぎ,北朝方として活動したが,四国統一を目指す讃岐国(香川県)の細川氏の侵略に苦しめられた。貞治3/正平19(1364)年,大軍を率いて侵攻してきた細川頼之軍を伊予国桑村・越智両郡の境,世田山城(東予市)で迎え討ち,激戦の末敗れて城中で自害した。後は幼少の徳王丸(通尭)が継いだが,通朝の死を境に河野氏の領国支配は危機を迎えることになる。<参考文献>『愛媛県史古代Ⅱ・中世』

(山内譲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の河野通朝の言及

【河野氏】より

…中世の伊予国(愛媛県)の豪族。古代の越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる。風早郡河野郷(現,北条市)を根拠地とする。源平合戦時に,通清・通信父子が源氏方にくみして勢力をのばし,戦後は御家人の地位を得て伊予国最大の武士団に成長した。その支配領域は,風早郡を中心にして中東予に及んだ。承久の乱(1221)では通信が京方に味方し,所領所職の大半を失ったが,その子通久が鎌倉方についたのでかろうじて命脈を保った。…

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