朝日日本歴史人物事典 「河野通朝」の解説
河野通朝
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。通盛の子。通称六郎,または対馬六郎,のちに 遠江守を名乗る。父引退の後を受けて伊予国(愛媛県)の豪族河野氏の家督を継ぎ,北朝方として活動したが,四国統一を目指す讃岐国(香川県)の細川氏の侵略に苦しめられた。貞治3/正平19(1364)年,大軍を率いて侵攻してきた細川頼之軍を伊予国桑村・越智両郡の境,世田山城(東予市)で迎え討ち,激戦の末敗れて城中で自害した。後は幼少の徳王丸(通尭)が継いだが,通朝の死を境に河野氏の領国支配は危機を迎えることになる。<参考文献>『愛媛県史古代Ⅱ・中世』
(山内譲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報