河野養哲(読み)こうの ようてつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野養哲」の解説

河野養哲 こうの-ようてつ

1661-1727 江戸時代前期-中期儒者
寛文元年生まれ。周防(すおう)(山口県)三田尻の人。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩の船手役人をつとめていたが,学問をこころざして医師となる。のち自宅に私塾をひらいた。享保(きょうほう)12年9月27日死去。67歳。私塾は遺言で藩に献上され,越氏(えっし)塾とよばれて藩校明倫館の付属校となった。名は通文

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

防府市歴史用語集 「河野養哲」の解説

河野養哲

 江戸時代に越氏塾[えっしじゅく]を開いた人です。もともとは御船手組[おふなてぐみ]の1人だったのですが、やめてしまい、医者になりました。医者をしながら塾を開き、亡くなるまで、多くの人を教育していたようです。

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