沼城跡(読み)ぬまのしろあと

日本歴史地名大系 「沼城跡」の解説

沼城跡
ぬまのしろあと

[現在地名]徳山市大字須々万本郷 要害

沼間城とも記したが、だれの城として築かれたものかは不明。陶晴賢が安芸厳島いつくしまで毛利軍に敗れたあと、毛利隆元は周防に進軍したが、弘治二年(一五五六)四月、須々万の沼城をも攻撃した。この時城番としてこの城にいたのは大内義長の兵山崎伊豆守興盛父子で、山口より加勢として伊香賀左衛門大夫・江良弾正忠賢宣らが城を守っていた。沼城はその名のとおり三方を沼に囲まれた城で、毛利軍はこの時一度退いたが、翌三年三月再び攻め、沼へ編竹や菰を打ち入れて攻略に成功、落城したと伝える(吉田物語ほか)


沼城跡
ぬまじようあと

[現在地名]三次市十日市町 下原

三次盆地南縁の西端から北の沖積平地に張出す丘陵突端にある中世の山城跡。山頂からは十日市とおかいち・三次両町が眼下に広がり、盆地の北端に三吉氏の本拠比叡尾ひえび山や比熊ひぐま山が望見できる。前方一帯は馬洗ばせん川・可愛えの川の後背湿地帯で、沼の名もそれに由来する。またこの地は近世以前の三次と高田郡吉田よしだ町や広島を結ぶ雲石路の三次への出入口に位置していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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