泉官衙遺跡(読み)いずみかんがいせき

国指定史跡ガイド 「泉官衙遺跡」の解説

いずみかんがいせき【泉官衙遺跡】


福島県南相馬市原町区泉にある官衙跡。阿武隈(あぶくま)山地から太平洋に東流する新田(にいだ)川と、その北岸に展開する丘陵の間に形成された狭小な河岸段丘上に立地する。古代の行政区域では陸奥国行方(なめかた)郡に属し、古くから建物の礎石が残り、古瓦・炭化米が採集されたことから、泉廃寺跡の名で知られていた。1994年(平成6)の発掘調査により、遺跡の範囲は東西1kmにわたることが明らかになり、市は遺跡の主要部分の保存を決め、2000年(平成12)から遺跡の内容確認のための発掘調査を行ったところ、政庁域、正倉域、館と考えられる遺構が確認された。見つかった建物群は、大きくわけて3期の変遷が確認され、1期(7世紀末から8世紀初め)には建物群の主軸は真北から東に振れた方位をとる。政庁域は遺跡中央にあり、桁行4間、梁行2間の掘立柱建物の正殿と、それを「口」の字形に囲む掘立柱塀で連結された前殿、後殿、東・西脇殿の4棟の掘立柱建物からなり、その北西には正倉を構成する総柱式掘立柱建物群がある。2期(8世紀初めから後半)には建物群の主軸方位はほぼ真北に移る。政庁域の位置と規模、建物配置はほぼ1期を踏襲するが、正殿は4面庇付き建物となり、前庭部分が玉石敷きになる。正倉域は政庁域の北西約240mに移り、礎石総柱建物群が溝と掘立柱塀によって区画される。3期(8世紀末から10世紀前半)には政庁域、正倉域ともに規模を拡大するが、政庁は前殿が失われ、後殿と東・西脇殿は独立した建物となる。また、政庁域の南方には、新田川旧河道から延びる運河が開削され、その周囲に掘立柱建物群からなる施設が造営されるが、2期に成立した館は姿を消す。土師器(はじき)、須恵器(すえき)、円面硯(えんめんけん)、木簡などが出土し、遺跡の東端では軒平瓦(のきひらがわら)・丸瓦・平瓦など瓦類の出土量の多さがめだつ地域もあった。泉官衙遺跡は、その所在位置と内容から、陸奥国行方郡家とする意見が強い。2010年(平成22)に国の史跡に指定された。JR常磐線原ノ町駅から車で約15分

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android