泉河(読み)いずみかわ

日本歴史地名大系 「泉河」の解説

泉河
いずみかわ

中世は匝瑳南条そうさなんじよう庄に属したとみられ、在地領主としては千葉氏一族の椎名氏が知られる。神代本千葉系図には福岡系椎名氏の一流に泉川氏がみえ、福岡胤成の子息に泉川次郎頼胤をあげ弥五郎光時へと継いでいる。大永八年(一五二八)一一月九日の印信紹文(石橋家文書)に匝瑳泉河新光しんこう寺とみえ、宥宮が弟子の宥真に伝法灌頂印信を授与している。当地新光寺における印信伝授の史料は多く、享禄三年(一五三〇)秘密許可第三重(宥宮―宥真)、弘治三年(一五五七)瑜祇灌頂印信(宥賢―宥真)、永禄二年(一五五九)伝法灌頂印信(宥真―宥珠)、同九年秘密許可第二重印信(宥真か―宥珠)、天正一五年(一五八七)秘密許可第二重印信(宥範―宥盛)などが知られる。

泉河
いずみがわ

木津川の古称で、歌枕。「万葉集」以来多くの歌に詠まれ、「能因歌枕以下の歌学書類にみえ、「八雲御抄」は「はゝそのもりのもと也」、「和歌色葉」は「みかのはらのわたり」と注する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報