和歌用語。古典和歌にしばしば詠まれる名所のこと。古典和歌の世界では,和歌に詠むにふさわしい由緒ある一群の地名があり,恣意(しい)的に勝手な地名を詠みこむことは許されなかった。その地名は,《能因歌枕》《五代集歌枕》《八雲御抄》《歌枕名寄》などの歌学書に集成され,いわば登録された形になっている。歌枕という語は,古くは歌に使用すべき言葉一般,あるいはそれらの言葉を集成した書物という広い意味で使われた。《能因歌枕》はその例で,地名を含めた歌言葉一般の集成である。時代が下がると,藤原範兼(1107-65)著の《五代集歌枕》のように五代の集(《万葉集》および《後拾遺集》までの4勅撰和歌集)から地名を引き出し,証歌を掲げたものが現れる。ここでは歌枕は由緒ある地名の意味で用いられている。これらの歌学書が集成した歌枕の内容は,勅撰集の《古今集》から《新古今集》までの八代集の地名を根幹とし,そのほかに《伊勢物語》《源氏物語》などに現れた地名も含んでいる。その総数は2000から3000で,全国に散在している。歌枕の数は作歌に従事する人の多い所に多いが,平安末期から伊勢参宮が盛んになると鈴鹿から伊勢のあたりの地名が増えるといったぐあいに,政治的・文化的な変動によって,その分布状況も変化した。無数の地名の中から歌枕という一群の特定の地名がどんな基準で選別されたのか,ということは必ずしも具体的にわかるわけではないが,その最初の選別には日本の土着的な信仰が大きく関与していることは疑いない。〈吉野〉〈竜田〉〈富士〉〈三輪山〉などが,その明らかな例である。
歌枕と他の地名とを区別する基準は,それが文学史上の地名か否かという点にある。初めにある地名がある歌人に詠まれ勅撰集に入る。以後,多くの歌人によりその地名が詠みつがれるうちに固有の情緒が付着し,その情緒が文学史の中で成長し,やがて固定する。その地名が歌枕で,歌人はそこに行ったことのあるなしにかかわらず,自分の歌に適合した情緒を持つ地名を選んで詠みこんだのである。その際,歌人には先人たちの作歌に関する広い古典的教養が要求され,実際の場所がどうなっているかといった知識は付随的なものとされた。〈人が吉野山はいづれの国ぞと尋ね侍らば,只花にはよしの山,もみぢには立田を読むことゝ思ひ付きて,読み侍る計(ばか)りにて,伊勢の国やらん,日向の国やらんしらずとこたへ侍るべき也〉(《正徹物語》)という正徹の言は,その辺の事情を物語っていよう。また,歌枕は情緒の固定とともに,竜田は紅葉,吉野は桜というように,その景物まで一定させてくる。こうした地名と景物の組合せは散文の世界にも導入されたほか,倭絵(やまとえ)などの造形美術にもとり入れられた。このように歌枕は歴史の中で成長し,表現を類型化してしまう危険をはらみつつも,日本の伝統的な自然観をつくり上げる基盤となってきた。
執筆者:奥村 恒哉
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歌学用語。広義としては和歌に詠み込まれる歌ことばを、狭義としてはその歌ことばのうちの地名をさす。もともと広義として用いられていたが、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、狭義として用いられるようになった。今日でも狭義として用いられるのが一般である。前者を代表する平安時代中期の著作に『能因(のういん)歌枕』(11世紀なかば)があり、枕詞(まくらことば)、序詞、自然現象、動植物、慣用語、地名など、いわゆる歌ことばを収集、説明したもので、作歌のための手引書であった。この歌ことばは、たとえば「花橘(はなたちばな)」が過往への追懐の気持ちを含み、「松虫」が懸詞(かけことば)「待つ」とともに用いられるなどのように、それぞれ類型的な連想性をもつ点に特徴がある。これは、たとえば「五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖(そで)の香ぞする」(『古今集』よみ人しらず)の古歌がもとになって「花橘」の連想がなされるように、古来の歌々がもとになって生成されたとみられる。王朝の和歌は、そのような類型的なことばを表現の基盤に据えながら、しかも個別的な叙情性が発揮できるように仕組まれていた。
後者の狭義の歌枕もまた、類型的な連想作用を促すことばとしての地名である。たとえば、「吉野」といえば桜か雪を、「龍田山(たつたやま)」といえば紅葉(もみじ)を、あるいは「飛鳥川(あすかがわ)」といえば人の世の無常を連想させるように。もとより、はるか古代においては、地名はその土地の信仰と結び付いたことばであり、それだけに歌にも多く詠み込まれた。時代とともにその信仰は薄れたが、詠み継がれてきた歌としての伝統を顧みるところから、前記のような共通の連想作用を促すことばとしての歌枕が成立するようになった。人々にはいわゆる名所として喧伝(けんでん)されるようになる。その傾向は、早く『万葉集』の時代からおこり、『古今集』以後の王朝和歌の時代で一般化した。和歌のみならず、絵画においても、新しくおこった大和絵(やまとえ)の重要な構図となっている。貴族たちは室内を飾る歌枕の屏風絵(びょうぶえ)などに接して、たとえば塩焼く煙の景に塩竈(しおがま)や須磨(すま)の地を想像するなど、訪ねたこともない各地の景観を思い描くのである。また、この歌枕は、紀行文や道行(みちゆき)のような文章と不可分にかかわっている。『土佐日記』『伊勢(いせ)物語』はその最初期の例であるが、後世の『おくのほそ道』も陸奥(みちのく)の歌枕をたどった紀行文学であるとみられる。
[鈴木日出男]
『片桐洋一・ひめまつの会編『平安和歌歌枕地名索引』(1971・大学堂書店)』▽『奥村恒哉著『歌枕』(1977・平凡社)』▽『片桐洋一著『歌枕歌ことば辞典』(1984・角川書店)』
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古来和歌によく詠まれた地名・名所。本来は歌詞・枕詞・名所・歌題など広く和歌に詠みこまれる歌語や題材の意。またはそれらを解説した書名の意。平安後期には,和歌の題材としての名所をさすようになった。この狭義の歌枕(名所歌枕)は,たんに和歌に詠まれた地名というだけでなく,その名所のもつ特定のイメージを古歌によって形成し,詠作上に一定の表現形式を備えた類型的美意識をもたらした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…長歌のようなものも含めて,概して短詩形が多い日本の詩歌は,これらの修辞の駆使によって単調さからのがれ,味わいを濃くすることができた。また〈歌枕〉は名所として人々の憧憬を刺激する地名だが,地名をいうだけで人々の共同的想像力をかきたてえた点で,重要な詩的装置であり,古典的なpoetic dictionの好例といえるものであった。さらに重要なものとして,《万葉集》《古今和歌集》以後,連歌・俳諧の長い歴史的経過を通じ,きわめて精緻に体系化され,現代の俳句歳時記に集大成されている〈季題〉〈季語〉の一大宝庫がある。…
※「歌枕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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