泊寺跡(読み)とまりじあと

日本歴史地名大系 「泊寺跡」の解説

泊寺跡
とまりじあと

[現在地名]大野町藤北 木原

大野庄しも村にあった寺。木原こわらのうちの「とまりごう」と称する地があり、ここが寺跡と推定される。大友能直の妻尼深妙(風早禅尼)の墓所、風早の墓堂とかかわるとも考えられるが不詳(弘長三年七月二日「尼深妙等連署譲状案」志賀文書、以下すべて同文書)。弘長二年(一二六二)八月三日の沙弥明真等連署状に泊寺とみえ、下村地頭大友能基(明真)は甥の帥公(禅季、志賀能郷の子)に泊寺院主職を譲った。文永二年(一二六五)深妙は能基の譲りに任せて禅季の院主職と寺領や泉屋敷などの領知安堵している(同年三月二三日尼深妙下文)。弘安六年(一二八三)頃当寺院主職兼地頭職は禅季から大野基直(能基の子)後家尼善阿に直銭四五〇貫文で売渡された(永仁五年八月五日僧禅季譲状など)。この売渡しに関連してか同年泊寺にかかわる深妙譲状と田中木工助(大野基直)泉屋敷去状が二〇貫文で采智房へ引渡され(同年一二月一九日采智房請文)、翌弘安七年には代銭三〇貫文で田中殿(基直後家か)へ渡すこととされた(同年二月二五日成重請文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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