泊瀬朝倉宮(読み)はつせのあさくらのみや

日本歴史地名大系 「泊瀬朝倉宮」の解説

泊瀬朝倉宮
はつせのあさくらのみや

「日本書紀」雄略天皇即位前紀三年一一月条に「天皇有司に命せて、壇を泊瀬の朝倉に設けて、即天皇位す。遂に宮を定む」とある。所在地については、大字岩坂いわさか上岩坂の磐坂谷説(帝王編年記、和州旧跡幽考)と大字黒崎くろさきてんもり(大和志、日本書紀通証、日本書紀通釈)の二説がある。「姓氏録」山城諸蕃、秦忌寸の条に「秦公酒、大泊瀬稚武天皇諡雄略、御世、(中略)役諸秦氏構八丈大蔵於宮側、納其貢物、故名其地曰長谷朝倉宮」という地名説話があるが、アサクラは地形語で、アサ(朝―浅)は深に対する形状言、クラは谷の意と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「泊瀬朝倉宮」の意味・わかりやすい解説

泊瀬朝倉宮
はつせあさくらのみや

雄略(ゆうりゃく)天皇の宮室。『日本書紀』雄略天皇即位前紀によれば、安康(あんこう)天皇3年11月、壇を泊瀬の朝倉に設けて即位し、ここに宮を定めたという。所在地については、奈良県桜井市大字岩坂(いわさか)説と桜井市大字黒崎(くろさき)説の二説がある。泊瀬朝倉宮に近接して、武烈(ぶれつ)天皇の泊瀬列城宮(はつせなみきのみや)があったと考えられる。1984、85年(昭和59、60)、桜井市大字脇本(わきもと)小字燈明田(とうみょうでん)から、5世紀後半を下らないと思われる掘立て柱建物が発掘され、両宮跡との関係が注目されている。

[中尾芳治]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「泊瀬朝倉宮」の解説

泊瀬朝倉宮
はつせのあさくらのみや

記紀にみえる雄略天皇の宮。「古事記」では長谷朝倉宮。朝倉の地名磯城(しき)に含まれることから,埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘にみえる加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)の斯鬼宮(しきのみや)も同所か。近年,奈良県桜井市脇本から5世紀後半の大型掘立柱建物群が発見され,宮跡に比定する説が有力となっている。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の泊瀬朝倉宮の言及

【磯城】より

…崇神天皇の磯城瑞籬宮(みずがきのみや),垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや),景行天皇の纏向日代宮(ひしろのみや),欽明天皇の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)などが営まれたことが《日本書紀》にみえ,この地域は磐余(いわれ)地域とともに狭義のヤマトの主要部分を占め,古代の政治・文化の中心であった。埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘にみえる〈獲加多支(わかたける)大王〉(雄略天皇)の〈斯鬼宮(しきのみや)〉は大和のシキ地域の宮であるとする説が有力で,雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)が存在したとみられる地域も含めてシキを考えることもできる。このようにシキの範囲は三輪山周辺を中心とした初瀬川の扇状地や巻向(まきむく)周辺を含むかなり広い地域を指すとみられるが周辺部の確定は難しい。…

※「泊瀬朝倉宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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