日本歴史地名大系 「法園寺」の解説 法園寺ほうおんじ 京都府:八幡市八幡惣町園之町法園寺[現在地名]八幡市八幡源氏垣外男(おとこ)山の東方にある。雄徳山と号し、律宗。本尊は釈迦如来。金振(かなぶり)郷の園(その)に石清水(いわしみず)八幡宮二八代別当田中勝清が房舎を作り多年居住して園殿と号し、嘉応三年(一一七一)当地で没した。その子慶清・孫道清もこの地に住して相承し、道清の子三四代別当田中宗清は建保五年(一二一七)一一月二八日、先師十二年忌にあたり三代の先師の墓所の傍らに一堂を建立し、阿弥陀・観音・勢至の三尊像を安置、僧侶二口を定置して不断念仏を唱えさせることにした。これが園寺(法園寺)である(石清水文書)。次いで宗清の子三九代別当行清は弘長二年(一二六二)六月二五日の願文(石清水文書)に、「右薗ハ一門烈祖乃墳墓、三尊安置乃道場也、しかるに不退乃勤ニあらさるあひた、常住乃ものなし、一堂を建立して、不断念仏をはしめをき、一所を寄附して、有縁無縁をとふらふへし、(中略)これを未来際尓伝て退転なく、子孫等尓おほせて乖違すへからす」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報