法応寺跡(読み)ほうおうじあと

日本歴史地名大系 「法応寺跡」の解説

法応寺跡
ほうおうじあと

[現在地名]吉良町駮馬 東城

城(しろ)山の向い鍛冶(かじ)山の中腹の南面にあった。昭和三二年(一九五七)に廃寺となる。現在築山の樹木を残すのみ。永禄六年(一五六三)三河一向一揆に再起のすべてをかけた吉良義昭が敗れたあと、東条(とうじよう)城は松平甚太郎義春の子、甚太郎家忠が松井忠次の助けを借りて城主になる。法応寺は、わずかの期間の城主であった甚太郎義春親子の冥福を祈るために建てられたもの。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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