法輪院跡(読み)ほうりんいんあと

日本歴史地名大系 「法輪院跡」の解説

法輪院跡
ほうりんいんあと

[現在地名]盛岡市愛宕

盛岡城下北東恩流おんりゆう寺の東隣、愛宕山の山下にあった天台宗の寺。愛宕山と号し、江戸寛永寺の末寺。初め興福こうふく寺と称し、のちに広福寺と改める。城の鬼門鎮護の祈願寺として寺領三〇〇石を有した(盛岡砂子)。「御領分社堂」によれば、往古当院は郡山藉葯野こおりやましやくやくの(現紫波郡紫波町、江戸時代の北日詰村牡丹野)にあって米野山広福寺と号し、真言宗であった。盛岡城下へ移転したのち寺領二〇〇石を与えられ、天台宗に改宗。三代藩主南部重直の代に愛宕あたご山に愛宕堂(のちの愛宕神社)建立され、当寺へも一〇〇石の加増がなされ、愛宕山広福寺と改めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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