洛陽焼溝古墓群(読み)らくようしょうこうこぼぐん(英語表記)Luò yáng Shāo gōu gǔ mù qún

改訂新版 世界大百科事典 「洛陽焼溝古墓群」の意味・わかりやすい解説

洛陽焼溝古墓群 (らくようしょうこうこぼぐん)
Luò yáng Shāo gōu gǔ mù qún

中国,河南省洛陽旧城の北西約1.7kmの焼溝村で発見された古墓群で,焼溝古墓群とも呼ばれる。1952,53年に調査された。焼溝村は,邙山の南麓,隴海鉄道の北側のなだらかな斜面上に位置している。発見された古墓は,戦国墓59基と漢代墓225基である。戦国墓は,隋唐洛陽城址北壁の内側に,東区,西区,南区の3群に分かれて存在する。戦国墓の構造は,長方形竪穴墓が43基,竪穴を掘り,底に横穴を設けた洞室墓が16基であった。相対的には竪穴墓が古く,洞室墓は戦国後期から秦・漢時代にかかる遺構と推定される。副葬品には,鼎(てい),豆(とう),盒(ごう),壺,盆,碗(わん),簋(き),缶(かん),小壺,盤形豆の陶器類,鏃,帯鉤(たいこう),環,鏡,璜(こう)形飾などの青銅製品,帯鉤,(ほん),鋤(じよ)などの鉄製品,圭(けい),璧(へき),環,小玉などの玉石器が存在した。なかでも陶器の類は,鼎・豆・壺,あるいは鼎・盒・壺を組合せの基本とする戦国時代副葬陶器の典型的な遺物であった。焼溝の戦国墓は,洛陽に存在した東周城近郊の墓として重要な意味をもっている。

 焼溝村で発見された漢墓は,年代的に前漢の武帝時代から後漢の年末に及んでいる。焼溝の漢墓は構造のうえで,空心塼(くうしんせん)で槨室のつくられた墓と,小型塼で槨室や耳室のつくられた墓があり,年代が下るにしたがい槨室や耳室の構造が複雑になっている(塼室墓)。副葬品には,缶,壺,甕,鼎,敦(たい),奩(れん),方盒,炉,洗,甑(そう),釜,盆,博山炉,灯,耳坏,鶏,犬,豚小屋,灶(かまど),倉,井,(よう)などの陶製明器,鏡,帯鉤,車馬飾,刀,矛,弩(ど),鏃,環,鋪首などの青銅製品,犂鏵(りか),鋤,鍬,鏟(さん),鎌,斧,剣,刀,矛,鏡などの鉄製品,奩,盒,缶,盤,耳杯,案などの漆製品,石獣,石豚,玉板,玉人,小玉などの玉・石器,半両銭,五銖銭,大泉五十,貨布,貨泉などの貨幣類が存在した。焼溝村の墓は,漢代河南県の郊外に造られた中型・小型の墓であるが,墓の構造および副葬品は,漢代の墓と遺物の基準となるもので,それらは6期に編年され,漢代遺跡と遺物の年代的物差となっている。
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世界大百科事典(旧版)内の洛陽焼溝古墓群の言及

【洛陽】より

…漢代墓は墓の構造と副葬品の組合せから,前漢中葉より後漢末に至る6期に編年され,漢代編年の基準資料である。焼溝I期の前漢中葉墓はなお鼎,盒,壺の土器を副葬し,戦国~秦代の伝統礼制を色濃く残している(洛陽焼溝古墓群)。焼溝と洛陽老城の間では1957年,前漢後期の壁画墓が発見された。…

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