(読み)よう(英語表記)yong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


よう
yong

中国で明器 (めいき) として墳墓に副葬された人形。中国における人形の出現は古く,彩陶文化期および殷代に知られるが,俑として土製,木製,青銅製の人形をに納める風習が生れたのは春秋時代以降と考えられる。戦国時代には,黒陶俑と呼ばれる 10~15cmぐらいの土偶がつくられ,漢代になると人物,動物などの陶質の俑が広く墳墓に納められた。南北朝時代の俑には仏像を思わせるものもあり,仏教の影響がうかがわれる。唐代の俑には三彩釉陶など色彩豊かなものが多く,胡人を表わしたものなど,時代の特色が出ている。

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デジタル大辞泉の解説

よう【×俑】

《人形(ひとがた)の意》中国で、死者とともに埋葬した人形。死者の臣下・妻妾(さいしょう)・衛兵・愛玩動物などをかたどる。材質により、陶俑・木俑・金属俑などに分けられる。戦国時代以降のものが多く、代に至るまで作られた。→兵馬俑坑

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世界大百科事典 第2版の解説

よう【俑 yŏng】

墓に副葬する葬具の一種。中国では人や鳥獣を木,土,金属などでかたどった人形を俑と呼び,器物をかたどった明器と区別した。孔子は芻霊(すうれい)(草人形)を用いることを善しとし,人を写実的に描写する俑を用いることに反対した(《礼記》檀弓(だんぐう)下)。殉葬の人にかえて人形を埋葬することから出発したようであるが,時代が下るにしたがって鳥獣が加わり,明器とともに墓の不可欠な副葬品として明・清時代まで長く行われた。

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大辞林 第三版の解説

よう【俑】

中国で副葬品として用いられた、人間を模した像。木・土・金属・陶などで作る。殷いん代から明代にわたって見られ、各時代の風俗を反映して美術的にも価値が高い。 → 泥象でいしよう
[句項目] 俑を作る

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


よう

墓の副葬品としてつくられた人形。明器(めいき)の一種で、一般に中国の人形明器に俑の名称を用いる。その材質によって、陶俑、木俑、銅俑などがあり、玉石のものもある。殷(いん)後期にすでに玉製の人物像が存在し、これらも俑の一種ではあるが、俑とよばれる遺物の出土は戦国時代以降のものが多い。戦国の遺物としては湖南省長沙(ちょうさ)出土の木俑、山西省長治出土の小陶俑などが知られ、秦(しん)の始皇帝陵の兵馬俑坑(ようこう)からは等身大の陶俑が出土している。漢代の墓からも多くの陶俑、木俑、銅俑、石俑が出土し、魏晋(ぎしん)南北朝から隋(ずい)、唐、宋(そう)、元(げん)、明(みん)に至るまで各種の俑がつくられている。[飯島武次]

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世界大百科事典内のの言及

【テラコッタ】より

…さらにイタリア半島でもローマ人に先立って古代文明を樹立したエトルリア人は,前6世紀に,ギリシアの青銅像や大理石像に代わって等身大の人物像をテラコッタで制作,陶芸における彼らの卓抜した技量を示した。 一方,東洋では日本の縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪,さらに中国の戦国時代から唐代にかけて制作された土製の(よう)もテラコッタである。日本の土偶や埴輪は〈手づくね〉であったが,とくに埴輪は粘土を輪状に積み重ねて形成する〈輪積法〉もしくは粘土を紐状にして積み上げる〈紐作り法〉であるのに対し,中国の俑はタナグラの小像と同様に型による成形で,唐代の加彩人物像,騎馬像などはテラコッタの最もすぐれた作例とされる。…

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