津田川口番所跡(読み)つだかわぐちばんしよあと

日本歴史地名大系 「津田川口番所跡」の解説

津田川口番所跡
つだかわぐちばんしよあと

[現在地名]徳島市津田本町一丁目

津田川口に置かれ、船や人・物の出入りを検査した番所。設置場所は「斎津村誌」によれば魚御分一所の北隣、三景楼という料亭のあった所で、現津田本町つだほんちよう一丁目にあたる。津田川口は海上交通の要衝で、徳島城下に近かったことから重視され、同所に番所が設置されたものと思われる。津田川口は正保四年(一六四七)の海陸道度帳によれば、川口砂、船通幅一七、八間、深さは満潮時に七―八尺、干潮時には三―四尺、南東の方向から風が強く吹いたときには船の出入りができなかった。

番所の設置年代は不詳であるが、寛永一六年(一六三九)の御山下画図には見晴しのよい丘上に番所らしき施設が描かれており、当時すでに設置されていたことが推測される。番人は阿波水軍の総帥森志摩守忠村の家臣であった久米・広田・忠津・粟田の四家が勤めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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