津田純一(読み)ツダ ジュンイチ

20世紀日本人名事典 「津田純一」の解説

津田 純一
ツダ ジュンイチ

明治・大正期の教育家 大分中学校校長。



生年
嘉永3年5月12日(1850年)

没年
大正13(1924)年1月23日

出生地
豊前国中津(大分県)

学歴〔年〕
慶応義塾,エール大学

経歴
中津藩士・津田范曹の子に生まれる。慶応2年藩校・進脩館塾長。明治2年上京して慶応義塾で福沢諭吉に学び、7年旧藩主・奥平昌邁の米国留学に同行、エール大学で法律の学位を取得する。帰国後、兵庫県師範学校校長、外務省出仕を経て、石川県専門学校教官、三重県師範学校校長を務めた。31〜39年大分中学校校長。のち一旦朝鮮に渡ったが、中津に帰り中津高等女学校の設立尽力、44年初代校長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田純一」の解説

津田純一 つだ-じゅんいち

1850-1924 明治-大正時代の教育者。
嘉永(かえい)3年5月12日生まれ。津田耕烟(こうえん)の子。もと豊前(ぶぜん)中津藩(大分県)藩士。慶応義塾で福沢諭吉にまなぶ。明治7年アメリカに留学。11年帰国して兵庫師範校長。13年相馬永胤らの専修学校(現専修大)設立にかかわる。のち石川県専門学校教授,三重師範校長,大分県下毛郡立高女(現中津北高)初代校長などをつとめた。大正13年1月23日死去。75歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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