日本歴史地名大系 「津黄村」の解説 津黄村つおうむら 山口県:大津郡油谷町津黄村[現在地名]油谷町大字津黄日本海に北面する村で、西は後畑(うしろばた)村、南は野田(のだ)村(現日置町)。日本海側の海崖は最高二五〇メートルの急斜面をなすが、村の中心津黄は入江奥の半農半漁の村落である。先大津宰判に所属する。慶長五年(一六〇〇)の検地帳に「津黄村・立石」とあり、立石(たていし)は後畑村内にあたる(ただし「注進案」では津黄村に入れる)。同一五年の検地帳でも立石と合石され、総石高一千二〇石余、うち田方が五九町余で高七九四石余、畠方が三四町余で一二五石余、百姓屋敷九一、浦屋敷二一、浦浮役三五石余、小物成一石余とある。津黄浦の漁業は捕鯨に特色があり、青海(おうみ)島まわりの通(かよい)浦・瀬戸崎(せとざき)浦(現長門市)の捕鯨法にならい、元禄一一年(一六九八)鯨組を創業し明和六年(一七六九)に一時中絶したことがあるが、まもなく再興して、近くの黄波戸(きわど)浦(現日置町)、川尻(かわじり)浦に伍する捕鯨基地となった(「旧藩漁業制度取調書」山口県文書館所蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by