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洪英植 ホン ヨンシク

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

洪英植 ホン-ヨンシク

1855-1884 朝鮮王朝の政治家。
哲宗6年生まれ。洪万植(マンシク)の弟。明治14年に日本を視察。帰国ののち金玉均(キム-オツキユン)らと急進開化派を形成。高宗21年甲申(こうしん)政変で清(しん)(中国)にたよる閔(ミン)氏政権の打倒をはかり,王宮を占領して新政府をつくったが,清軍の介入によって同年10月19日(1884年12月6日)殺害された。30歳。字(あざな)は仲育。号は琴石。

洪英植 こう-えいしょく

ホン-ヨンシク

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の洪英植の言及

【甲申政変】より

…封建制度を残したまま資本主義列強に開国した(1876)朝鮮にとって,国内体制の近代的改革は焦眉の問題となった。1884年8月にインドシナ問題をめぐる清仏戦争が起こり,開化派は一挙に守旧派から奪権すべく日本公使竹添進一郎の協力を求め,同年12月4日洪英植を総弁とする郵政局開設宴に参席した守旧派に対するクーデタをのろしとして行動を開始した。金玉均,洪英植,朴泳孝らは,士官学生や壮士を指揮して国王高宗と王妃の閔妃(びんひ)を守旧派から隔離させ,日本軍の出動を求めて護衛した。…

※「洪英植」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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