日本大百科全書(ニッポニカ) 「洲本藩」の意味・わかりやすい解説
洲本藩
すもとはん
淡路(あわじ)国津名郡洲本(兵庫県洲本市)を本拠とした外様(とざま)藩。1580年(天正8)豊臣(とよとみ)秀吉から仙石秀久(せんごくひでひさ)が洲本城5万石を得た。85年脇坂安治(わきざかやすはる)が3万石余でこれにかわり、98年(慶長3)3000石余加増されたが、1609年伊予大洲(おおず)に転封となる。翌年姫路藩主池田輝政(てるまさ)の三男忠雄(ただお)(母の督姫は徳川家康の二女)が6万3000石余で移封された。1615年(元和1)忠雄が兄忠継(ただつぐ)の遺領を継ぐため岡山藩に移ったので、一時廃藩となった。しかし同年蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が大坂の陣の戦功により淡路一国の加増を受け、蜂須賀家領(徳島藩)となった。洲本には同藩の陣屋が設けられ、重臣稲田氏が淡路城代兼仕置職として廃藩まで続いた。
[小林 茂]