浄顕寺(読み)じようけんじ

日本歴史地名大系 「浄顕寺」の解説

浄顕寺
じようけんじ

[現在地名]久留米市寺町

寺町てらまち通の西側にある。大願山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来木像。永禄二年(一五五九)御井みい仁王丸におうまる(現北野町)に了心が開いたとされ、二世善珍のとき慶長八年(一六〇三)に田中吉政代の久留米城下もと(のちの祇園小路)に移転、元和七年(一六二一)三世祐念が有馬豊氏から寺町に寺地拝領


浄顕寺
じようけんじ

[現在地名]西尾市家武町 札木

北東から続く山脈の麓に位置し、法城山と号し、真宗大谷派。本証ほんしよう(現安城市)のもと末寺。本尊阿弥陀如来。もと天台宗、開祖は慈覚大師円仁という(当山系図)。円仁が天長年中(八二四―八三四)に当地に錫したとき、須爾すみ(須美)山上最灯さいとう寺の一宇を建立したことに始まるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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