朝日日本歴史人物事典 「浅尾与六」の解説
浅尾与六(初代)
生年:寛政10(1798)
江戸後期,上方の歌舞伎役者。屋号浅田屋。俳名外山,一甫。3代目浅尾為十郎の門弟。浅尾丹平の名で子供芝居に出勤。文化11(1814)年大坂市川善太郎座で大芝居の初舞台を踏み,のち初代浅尾内匠,さらに天保1(1830)年に与六と改名。大芝居進出以降も中芝居,旅芝居をも勤め,三州(愛知県)吉田の興行中に没した。翌年の評判記で実悪大上上吉の位付けを得た。恰幅,男ぶりともよく,色気も含んだ大きな芸風で,敵役,実悪のほか立役,親仁形(老役)もこなした。また身軽で立ち回りにすぐれ「立の親玉」と称された。しかし中芝居では相手役に恵まれぬこともあって,「さらりとし過ぎて身に入らぬ」と難じられた。私生活では酒癖は悪いが男気のある人物だったという。名跡は明治前期に没した3代まである。
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報