日本歴史地名大系 「浅江村」の解説 浅江村あさなえむら 山口県:光市浅江村[現在地名]光市大字浅江(あさえ)・相生(あいおい)町・花園(はなぞの)町・泉(いずみ)町・流川(ながれかわ)町・緑町(みどりまち)・堀田(ほつた)町・幸(さいわい)町・虹(にじ)ヶ浜(はま)町・虹(にじ)ヶ浜東(はまひがし)町・丸山(まるやま)町・宝(たから)町・中村(なかむら)町・虹(にじ)ヶ丘(おか)一―四丁目現光市の西部に位置し、東は島田(しまた)村、北東は三井(みい)村、北西は河内(こうち)村(現下松市)、南は周防灘に面する。村の東部を島田川が南流、村域内はおおむね平地で西の村境に茶臼(ちやうす)山(三四八・九メートル)がそびえる。室積の慶宝(むろづみのけいほう)寺の嘉吉三年(一四四三)一月付文書に「浅江」とあり、文明元年(一四六九)の賀茂大明神文書に「浅江領筒井中六名」とある。延徳二年(一四九〇)九月付の賀茂大明神宮頭番文書によると、<資料は省略されています>とあり、当時は新屋河内(にいやごうち)と浅江が分れていた。 浅江村あざえむら 京都府:北桑田郡京北町浅江村[現在地名]京北町大字浅江周山(しゆうざん)一二ヵ村の一。大堰(おおい)川の支流明石(あけし)川の下流にある山間集落。川の上流(北)は西(にし)村、南東は明石村。中世は吉富(よしとみ)新庄に含まれる。慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)以降丹波国篠山藩領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報