光市(読み)ヒカリシ

デジタル大辞泉 「光市」の意味・読み・例文・類語

ひかり‐し【光市】

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日本歴史地名大系 「光市」の解説

光市
ひかりし

面積:六〇・九五平方キロ

山口県の南東部周防灘に面して広がる。市域のほぼ中央部を島田しまた川がおおよそ南西に向かって流れる。市の北西境には烏帽子えぼし(四一二・四メートル)、東側の熊毛くまげ田布施たぶせ町境には千坊せんぼう(二九八・七メートル)、ほぼ中央には鶴羽つるば(二六一・九メートル)が立つ。島田川流域、千坊山南麓の室積むろづみには平野が広がる。とくに島田川河口付近は低地帯で古くより洪水の難にみまわれてきた。さらに島田川が上流より運んだ土砂が沿岸海流や風によって陸繋島を形成している。沖には光市域として大水無瀬おおみなせ島・小水無瀬こみなせ島・牛島うしま島がある。

〔原始・古代〕

縄文時代前期の遺跡は発見されず、後期からの遺跡が発掘されている。室積東之庄横樋ひがしのしようよこひに縄文後期の土器・石器を主体とする横樋遺跡、山口大学付属光中学校校庭に縄文晩期の土器を含む御手洗みたらい遺跡があり、市域南部の室積地域に縄文人が生存したことが認められる。

弥生時代の遺跡は島田川流域に多くみられる。小周防こずおう立野たての地区では千田せんだ遺跡・渓月院けいげついん遺跡・中郷なかごう遺跡・長徳寺ちようとくじ遺跡・大浴おおえき遺跡、三井みい浅江あさえ・島田地区では樋口ひのくち遺跡・岡原おかばら遺跡・天符てんぷ遺跡・土井どい遺跡・領家りようけ遺跡、光井みつい地区ではもりたお遺跡、室積地区では御手洗遺跡があげられる。このうち、千田遺跡と渓月院遺跡は弥生式土器しか出土されておらず、そのほか小周防・三井・浅江地区の丘陵・台地に分布する遺跡は弥生時代後期後半の遺跡で、古墳時代への過渡期のものがほとんどを占め、古墳文化期の土師器また須恵器を出土している。室積地域の御手洗遺跡は縄文晩期の遺物から古墳時代の遺物まで出土し上下限幅の広い遺跡である。岡原遺跡の集落跡の北北東約一キロの樋口で単独の小型壺棺墓が発見、さらに北東約一キロの善庄ぜんしよう庵からも壺棺墓一基が発見され、この善庄庵遺跡は群集壺棺墓の可能性も考えられ、この周辺の埋葬風習を知るのに貴重な遺跡である。

古墳時代では中期古墳に比定される組合箱式石棺墓として浅江の懸山かけやま古墳一号・二号墳と、門蔵山もんどやま古墳が確認されている。後期古墳では横穴式石室を主とする小円墳である長徳寺山古墳などが確認される。

大化改新後、「日本書紀」天武天皇一四年一一月条に「儲用鉄一万斤、送於周芳総令所」との記事がみえる。周芳は周防と解されているが、この周芳総令所が、のちに国府の設けられた佐波さばの地(現防府市)か、周芳国造の本拠地(現光市)をさすのかは不詳。


光市
ひかりし

2004年10月4日:光市と熊毛郡大和町合併
【大和町】山口県:熊毛郡
【光市】山口県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「光市」の意味・わかりやすい解説

光〔市〕
ひかり

山口県南東部,周防灘に臨む市。南の海上の牛島を含む。 1943年光町と室積町が合体して市制。 1955年周防村を編入。 2004年大和町と合体。第2次世界大戦前,島田川の河口に海軍工廠が設置されたことが工業化の契機となり,戦後旧工廠跡は製薬,製鉄工業の工場地に転用され,臨海地に金属,輸送機械,化学・薬品工場が進出した。周南工業地域の一角を形成。室積は古くから潮待ち港として栄え,現在は漁港。農業は米作中心にミカン,イチゴ,メロン栽培を行なう。海岸は砂浜が続き,虹ヶ浜,室積半島は海水浴場として知られ,千坊山を含む一帯は瀬戸内海国立公園に属する。室積の峨嵋山樹林は国の天然記念物。石城山 (353m) にある古代の神籠石は国の史跡に指定され,一帯は石城山県立自然公園に属する。 JR山陽本線が通り,海岸沿いを国道 188号線が通じる。面積 92.13km2。人口 4万9798(2020)。

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