知恵蔵 「浅田真央」の解説
浅田真央
女子では世界で数人しか飛ぶことのできない3回転半ジャンプ(トリプルアクセル)を得意とし、国際大会のフリー演技中に2回のトリプルアクセルを成功させた(2008.12グランプリファイナル)初めての女子選手となった。
5歳から、姉の浅田舞とともにフィギュアスケートを始める。2004~05シーズンにISUジュニアグランプリファイナルと世界ジュニアフィギュアスケート選手権大会で優勝、全日本フィギュアスケート選手権大会(シニア)でも14歳で準優勝してトップ選手に仲間入りした。翌05~06シーズンにはISUグランプリファイナルで優勝したが、06年のトリノオリンピックは国際スケート連盟(ISU)の規定(五輪前年の7月1日の前日までに15歳になっていること)に87日足りず、出場できなかった。06~07シーズンは全日本フィギュアスケート選手権大会 優勝のほかISUグランプリNHK杯フィギュアスケート競技大会で当時のISU歴代最高得点(199.52)での優勝、ISUグランプリファイナル、世界フィギュアスケート選手権大会で共に準優勝。その後、07~08シーズンから13~14シーズンまでISUグランプリファイナル優勝3回、全日本フィギュアスケート選手権大会優勝5回、四大陸選手権大会優勝3回、世界フィギュアスケート選手権大会優勝2回を記録する。
10年バンクーバーで開催の冬季オリンピックに初出場し、銀メダルを獲得。その後、ロシアのタチアナ・タラソワコーチの元を離れて、10年9月から日本の佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプやスケーティングを基礎から見直した。10~11シーズンには、簡単なジャンプも飛べなくなる不振に陥り、主要大会の優勝からも遠ざかったが、次第にトレーニングの成果が表れ、13年のグランプリシリーズではスケートアメリカ、NHK杯国際フィギュアスケート競技大会及びファイナルで優勝。全日本フィギュアスケート選手権大会は3位となるも、14年のソチオリンピック代表に選出された。今季限りの現役引退を表明しており、最後のオリンピック出場となる見込み。
13~14シーズンは、ショートプログラムではショパンの「ノクターン」(振付:ローリー・ニコル)、フリーではラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」(振付:タチアナ・タラソワ)をテーマ曲とし、ショートで1回、フリーで2回のトリプルアクセルに挑んでいる。
(葛西奈津子 フリーランスライター / 2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報