浅草永住町
あさくさながずみちよう
[現在地名]台東区
元浅草一―
四丁目・
東上野二―三丁目
浅草阿部川町の西にあり、西は通りを隔てて下谷南稲荷町、南は浅草七軒町・浅草北三筋町。明治二年(一八六九)浅草龍福院門前・浅草了源寺門前・浅草観蔵院門前・浅草延命院門前・浅草妙福寺門前・浅草善慶寺門前・浅草誓教寺門前・浅草新光明寺門前・浅草栄蔵寺門前・浅草吉祥院門前・浅草法泉寺門前・浅草蓮妙寺門前・浅草蓮光寺門前・浅草観音院門前・浅草欣浄寺門前・浅草華蔵院門前の一六ヵ門前が合併して浅草永住町が起立。さらに同五年隣接する西丸御留守居の松平対馬守および御書院番小出丹宮の旧屋敷地ならびに密蔵院・称念寺・清徳寺・長遠寺・経王寺・妙経寺・盛泰寺・善立寺・地蔵院の九ヵ寺の寺地を合併、旧浅草華蔵院門前を浅草七軒町へ分離した。当町一帯は江戸時代以来里俗に新寺町と称された地域の内で、長遠寺付近は土富店と称された。昭和一八年(一九四三)西側が下谷区に編入されたが、同二二年台東区成立により浅草区永住町・下谷区永住町とも台東区に属した。
真言宗智山派延命院の創建年代は不明。創建当初は延寿院と号していたが、矢ノ倉(現中央区)にあった元和年間(一六一五―二四)に延命院と改称した。明暦三年(一六五七)当地へ移転した。寺地は拝領地。延命院の南にある真宗高田派称念寺は慶長三年(一五九八)禰宜町(現中央区)で起立され、同一二年矢ノ倉へ移り、正保元年(一六四四)当地へ移転した。塔頭は覚音院・本行寺・願信寺・歓名寺・最尊寺の五ヵ寺。境内は拝領地。鎌倉時代の木造阿弥陀如来立像および江戸時代初期に製作された木造親鸞上人坐像がある。称念寺の南に位置する真言宗智山派龍福院の創建年代は不明。古くは谷寺町(現不明)にあり、正保元年当地へ移転した。境内は拝領地。御府内八十八ヵ所の第八二番札所。西に接する浄土宗了源寺は慶長三年(慶長七年とも)田所町(現中央区)で起立。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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