浅野応輔(読み)あさのおうすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅野応輔」の意味・わかりやすい解説

浅野応輔
あさのおうすけ
(1859―1940)

日本の無線工学の先覚者岡山県出身。1881年(明治14)工部大学校電信科を卒業。同校助教授、東京電信学校長を経て、1891年逓信省電気試験所(ていしんしょうでんきしけんじょ)(現、産業技術総合研究所つくばセンター)創立以来1914年(大正3)まで同所の初代所長を務めた。この所長時代に1896年台湾海峡海底電信敷設工事、1897年日本最初の無線電信実験、1903年(明治36)水銀検波器の発明、電気単位の制定、ならびに電気用品の試験・検定の実施など多くの業績を残した。日本の初期無線研究の全般的指導者で、無線技術自立の貢献者といえる。

山崎俊雄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「浅野応輔」の解説

浅野 応輔
アサノ オウスケ

明治〜昭和期の電気工学者 東京帝国大学名誉教授;早稲田大学名誉教授;逓信省電気試験所初代所長。



生年
安政6年6月(1859年)

没年
昭和15(1940)年9月23日

出生地
備中国(岡山県)

学歴〔年〕
工部大学校〔明治14年〕卒

学位〔年〕
工学博士

経歴
東京電信学校長兼工部大学校教授を務め、明治24年逓信省電気試験所創設で初代所長となった。海底電信の権威で、長崎―台湾間630マイルの海底電線敷設を指導した。後、東京帝国大学、早稲田大学各教授となり、両大学名誉教授。草創期の日本電気通信発達に大きく貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「浅野応輔」の解説

浅野応輔

没年:昭和15.9.23(1940)
生年:安政6.3(1859)
明治大正期の電気工学者。近代日本の電気工学の基礎を築いた。備中国(岡山県)都窪郡の出身。明治14(1881)年工部大学校を卒業,同大学校教授となる。東京電信学校長を兼任,24年逓信省電務局電気試験所を創設,その長を歴任ののち,26年渡米。帰国後は東京市の電気事業を手掛け,29年には月島―金杉沖の無線通信実験に成功,このシステムは改良を重ねて33年には谷津―浦賀間29カイリ(53.7km)の通信を行うなど,マルコーニ(イタリア人電気技術者)の実験に匹敵する仕事を残した。また大隅(鹿児島県)―台湾間の海底電線敷設工事にかかわる。東大工学部教授,早大教授を務める。

(村上陽一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野応輔」の解説

浅野応輔 あさの-おうすけ

1859-1940 明治-昭和時代前期の電気工学者。
安政6年6月生まれ。明治24年逓信省電気試験所の初代所長。30年の長崎-台湾間の海底電線敷設工事や,日本最初の無線通信実験などを指導した。のち東京帝大,早大の教授。日本の電気通信の育ての親のひとり。昭和15年9月23日死去。82歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。工部大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android