日本歴史地名大系 「浜中庄」の解説
浜中庄
はまなかのしよう
現下津町の西半分を荘域としたと思われ、鎌倉時代中期以降は、南部を
立荘の時期は明らかでないが、「続風土記」の高野山
なおこののち本家職がどのように相伝されたかは明らかでないが、領家職は少なくとも文明四年(一四七二)までは、仁和寺の門跡が相続知行したようである(文明四年九月一六日「英基・之種連署奉書案」仁和寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現下津町の西半分を荘域としたと思われ、鎌倉時代中期以降は、南部を
立荘の時期は明らかでないが、「続風土記」の高野山
なおこののち本家職がどのように相伝されたかは明らかでないが、領家職は少なくとも文明四年(一四七二)までは、仁和寺の門跡が相続知行したようである(文明四年九月一六日「英基・之種連署奉書案」仁和寺文書)。
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