浜村米蔵(読み)ハマムラ ヨネゾウ

20世紀日本人名事典 「浜村米蔵」の解説

浜村 米蔵
ハマムラ ヨネゾウ

大正・昭和期の演劇評論家 舞台芸術学院学長。



生年
明治23(1890)年3月12日

没年
昭和53(1978)年12月20日

出生地
東京・下谷佐竹ケ原

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔明治43年〕中退

経歴
在学中から「日日新聞」に文芸時評を書き、中退後は榎本虎彦弟子となって歌舞伎狂言作者見習いとして入るが、間もなく大勢新聞社会部長に迎えられ、かたわら劇評を執筆。また小説「むくろ」を夏目漱石に認められる。大正10年帝劇文芸部主人に迎えられて活躍。また菊五郎主宰の俳優学校講師、舞台芸術院学長などもつとめた。著書は「簡易なる国劇教室」「六代目菊五郎伝」「歌舞伎」など数多くある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜村米蔵」の解説

浜村米蔵 はまむら-よねぞう

1890-1978 大正-昭和時代の演劇評論家。
明治23年3月12日生まれ。生家は東京の寄席浜村亭。歌舞伎座の狂言作者の榎本破笠(はりゅう)に弟子入り。大正元年から「大勢(たいせい)新聞」社会部長をつとめ,かたわら劇評をかく。のち帝劇文芸部主任。戦後,舞台芸術学院学長。昭和53年12月20日死去。88歳。東京出身。早大中退。著作に「歌舞伎教室」「日本演劇略史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浜村米蔵」の解説

浜村 米蔵 (はまむら よねぞう)

生年月日:1890年3月12日
大正時代;昭和時代の演劇評論家。舞台芸術学院学長;大勢新聞社会部長
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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