狂言作者(読み)キョウゲンサクシャ

デジタル大辞泉 「狂言作者」の意味・読み・例文・類語

きょうげん‐さくしゃ〔キヤウゲン‐〕【狂言作者】

歌舞伎で、劇場専属の劇作者宝暦(1751~1764)ごろ、立作者二枚目三枚目狂言方・見習作者の制度が確立した。劇作ほかに演出事務・舞台監督なども担当

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精選版 日本国語大辞典 「狂言作者」の意味・読み・例文・類語

きょうげん‐さくしゃキャウゲン‥【狂言作者】

  1. 〘 名詞 〙 歌舞伎狂言の作者の総称座付作者、脚本作者のこと。古くは狂言つくりともいった。宝暦(一七五一‐六四)以後は立作者、二・三枚目、狂言方、見習いの四階級に分かれ、実際に狂言制作をするのは二枚目以上で、それ以下は舞台監督、演出事務を行なった。また、明治時代脚本家の意に用いられることもあった。
    1. [初出の実例]「狂言作者 富長平兵衛 平山豊後」(出典:歌舞伎・武道達者(1693))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「狂言作者」の意味・わかりやすい解説

狂言作者
きょうげんさくしゃ

歌舞伎(かぶき)作者ともいう。文字どおり歌舞伎狂言をつくる作者である。しかし、このことばの内容には変遷があり、現在は、拍子木を打ったり、陰でせりふをつけたりするなど、かつての「狂言方」の職掌であった仕事を担当している。初期の歌舞伎には専業の作者はなく、「口立(くちだ)て」といって俳優同士の話し合いによって筋をこしらえていた。狂言が長くなり内容が複雑化するにしたがい、専門の作者が必要になり、1680年(延宝8)11月の顔見世番付(かおみせばんづけ)に、富永平兵衛(へいべえ)が「狂言作り」と明記したのが狂言作者独立の端緒とされている。それも初めは俳優の兼業が多かったが、近松門左衛門に至って狂言作者専業の時代となる。貞享(じょうきょう)・元禄(げんろく)期(1684~1704)の河原崎権之助(かわらさきごんのすけ)、市川団十郎(三升屋兵庫(みますやひょうご))、享保(きょうほう)期(1716~36)の津打治兵衛、沢村宗十郎、宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)・安永(あんえい)期(1751~81)の並木正三(しょうざ)、奈河亀輔(ながわかめすけ)、寛政(かんせい)から文化・文政(ぶんかぶんせい)期(1789~1830)の並木五瓶(ごへい)、桜田治助(じすけ)、鶴屋南北、嘉永(かえい)・安政(あんせい)期(1848~60)の3世瀬川如皐(じょこう)、河竹黙阿弥(もくあみ)らは代表的な狂言作者である。江戸時代の狂言作者は、中心となって作品全体の構想をたてる立(たて)作者のもとに、二枚目、三枚目の作者がいて、立作者の指導により軽い場の執筆を担当していた。さらにその下に狂言方と見習いがいて、作者制度が厳しく守られていた。

[服部幸雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「狂言作者」の意味・わかりやすい解説

狂言作者
きょうげんさくしゃ

歌舞伎の座付脚本作者。古くは「狂言作り」といった。初期には,俳優が作者を兼ね,富永平兵衛,近松門左衛門の頃から専業化した。元禄期以降は,作者部屋の合作制をとり,立作者,二枚目,三枚目,狂言方,見習いなどに階級制度化した。宝暦,天明期の並木正三,並木五瓶,化政期の鶴屋南北,幕末の瀬川如皐 (じょこう) ,河竹黙阿弥らが有名。明治に入って,劇壇外に作者が求められるようになったため,舞台進行,プロンプターなどをつとめるようになり今日にいたっている。

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