歌舞伎(かぶき)作者ともいう。文字どおり歌舞伎狂言をつくる作者である。しかし、このことばの内容には変遷があり、現在は、拍子木を打ったり、陰でせりふをつけたりするなど、かつての「狂言方」の職掌であった仕事を担当している。初期の歌舞伎には専業の作者はなく、「口立(くちだ)て」といって俳優同士の話し合いによって筋をこしらえていた。狂言が長くなり内容が複雑化するにしたがい、専門の作者が必要になり、1680年(延宝8)11月の顔見世番付(かおみせばんづけ)に、富永平兵衛(へいべえ)が「狂言作り」と明記したのが狂言作者独立の端緒とされている。それも初めは俳優の兼業が多かったが、近松門左衛門に至って狂言作者専業の時代となる。貞享(じょうきょう)・元禄(げんろく)期(1684~1704)の河原崎権之助(かわらさきごんのすけ)、市川団十郎(三升屋兵庫(みますやひょうご))、享保(きょうほう)期(1716~36)の津打治兵衛、沢村宗十郎、宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)・安永(あんえい)期(1751~81)の並木正三(しょうざ)、奈河亀輔(ながわかめすけ)、寛政(かんせい)から文化・文政(ぶんかぶんせい)期(1789~1830)の並木五瓶(ごへい)、桜田治助(じすけ)、鶴屋南北、嘉永(かえい)・安政(あんせい)期(1848~60)の3世瀬川如皐(じょこう)、河竹黙阿弥(もくあみ)らは代表的な狂言作者である。江戸時代の狂言作者は、中心となって作品全体の構想をたてる立(たて)作者のもとに、二枚目、三枚目の作者がいて、立作者の指導により軽い場の執筆を担当していた。さらにその下に狂言方と見習いがいて、作者制度が厳しく守られていた。
[服部幸雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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