浜田幸一(読み)はまだこういち

百科事典マイペディア 「浜田幸一」の意味・わかりやすい解説

浜田幸一【はまだこういち】

政治家。千葉県出身。千葉県の富津(ふっつ)町(現,富津市)町会議員,同県の県議会議員を経て,1969年に旧千葉3区選出の自由民主党自民党衆議院議員(通算7回当選)となる。1973年に中川一郎・石原慎太郎らと自民党の政策集団〈青嵐(せいらん)会〉を結成。1979年には衆議院選挙敗北をめぐる党内の派閥抗争,いわゆる〈四十日抗争〉で反主流派が自民党本部内にバリケードを築くが,浜田がこれを強制撤去する姿が話題となった。1980年にはアメリカのラス・ベガスでの賭博と,その借金返済にロッキード社の工作資金が流れた問題が指摘され,議員を引責辞任している。衆議院予算委員長であった1988年には,当時の日本共産党議長の宮本顕治を委員会で〈殺人者〉などと発言し,委員長を引責辞任した。政界引退後は,テレビのバラエティ番組への出演や講演などで人気を集めた。〈ハマコー〉の愛称で親しまれた一方,〈政界の暴れん坊〉とも呼ばれ,武闘派議員としてのイメージが強かった。→ロッキード事件

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜田幸一」の解説

浜田幸一 はまだ-こういち

1928-2012 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和3年9月5日生まれ。千葉県議をへて昭和44年衆議院議員(当選7回,自民党)。党国民運動本部長をつとめ,48年青嵐(せいらん)会の結成に参加した。55年ラスベガスでの賭博(とばく)行為が発覚し,議員を辞職。58年復帰,62年予算委員長となるが,翌年「宮本顕治殺人者発言問題」で委員長を辞任。平成5年引退。平成24年8月5日死去。83歳。千葉県出身。木更津(きさらづ)中学卒。

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367日誕生日大事典 「浜田幸一」の解説

浜田 幸一 (はまだ こういち)

生年月日:1928年9月5日
昭和時代;平成時代の政治評論家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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