浜田洒堂(読み)はまだ しゃどう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜田洒堂」の解説

浜田洒堂 はまだ-しゃどう

?-1737 江戸時代前期-中期俳人
医師で松尾芭蕉(ばしょう)の門人元禄(げんろく)3年(1690)俳諧撰集「ひさご」の編者となり,6年江戸深川芭蕉庵滞在を記念して「深川」を刊行。同年夏,大坂にうつって点者となり7年「市の庵」を刊行したが,俳壇経営には失敗。晩年の芭蕉から遠ざかった。元文2年9月13日死去。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は道夕。別号珍碩(夕)(ちんせき)。
格言など】火燵(こたつ)にはいかにあたるぞ蛸(たこ)の足(「薦獅子(こもじし)集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浜田洒堂」の意味・わかりやすい解説

浜田洒堂
はまだしゃどう

江戸時代中期の俳人。別号,珍夕,珍碩。初め尚白門,のち芭蕉門に入る。近江国膳所に住み,一時大坂にも居住した。元文2 (1737) 年に 70~80歳で没したと思われる。編著書に『ひさご』 (1690) ,『深川集』 (93) ,『市の庵』 (94) などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の浜田洒堂の言及

【洒堂】より

…江戸前期の俳人。初号は珍碩(珍夕)。姓は浜田,また高宮。通称は治助。近江膳所(ぜぜ)の人。医を業とした。1689年(元禄2)冬に芭蕉入門か。翌年《俳諧七部集》の第4集《ひさご》を撰し,芭蕉にその才能を高くかわれた。92年9月に東下し,翌年1月末まで芭蕉庵に滞在,夏に大坂移住。大坂蕉門の之道(しどう)と不和を生じ,芭蕉の来坂を促した。芭蕉臨終の際に不義理があったとして同門の俳人から非難を受け,97年冬膳所に帰住したが,以後,俳壇的活躍は乏しい。…

※「浜田洒堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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