日本歴史地名大系 「浜脇村」の解説
浜脇村
はまわきむら
- 大分県:別府市
- 浜脇村
〔中世〕
保元の乱の前に鎮西八郎源為朝は、京を離れ豊後国で生活した時期があったという(保元物語)。為朝が上陸したのは浜脇の地であるという伝説がある。また大友能直が兵を率いて建久七年(一一九六)に浜脇浦に上陸したともいう(大友家文書録)。中世は朝見郷に属し、南北朝時代以降は大友氏の所領であった。古くからの湯治場であり、天文一九年(一五五〇)二月一〇日浜脇で湯治中の大友義鎮に二階崩れの変の報が入り、急ぎ府内に向かっている(同文書録)。天正九年(一五八一)と推定される八月二二日の大友円斎(義鎮)書状(問注所文書)によれば、田原親貫の乱に際し、問注所統景が浜脇の陣に参陣したことをねぎらっている。参宮帳写(後藤作四郎文書)によれば、同一八年に「はまわきのあたり」の「ゆきも殿内かた・宗福寺与八郎殿」が、同一九年に「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報