朝日日本歴史人物事典 「浪岡其永」の解説
浪岡其永
戦国時代の武将。具統の子,従四位下,左中将。14世紀末までに北畠顕家の子孫が津軽に移り,やがて室町,戦国時代には津軽の東北部から青森湾岸西部一帯を支配するまでに至り,浪岡御所と称し,大光寺,大浦各氏と津軽を3分する勢力となり,日本の北境に位置する戦国大名となった。『津軽郡中名字』では其永が田舎郡2800町,奥法郡2000余町,沼深保内1000貫を領地するとある。また京都の山科言継に使者と金,昆布,いりこを送り,官位を上げるよう依頼。居城は浪岡城で,8郭に分かれ,北畠氏と家臣たちが集住し,近接して城下集落もあった。天正6(1578)年津軽為信に攻め滅ぼされた。<参考文献>『北の中世』
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報