日本歴史地名大系 「浪岡村」の解説 浪岡村なみおかむら 青森県:南津軽郡浪岡町浪岡村[現在地名]浪岡町浪岡浪岡川の中流に沿い、東は五本松(ごほんまつ)村、東南は中野(なかの)村、北は杉沢(すぎさわ)村、西は目鹿沢(めがさわ)村・佐野(さの)村、南は赤茶(あかちや)村と接する。村のほぼ中央を羽州街道が通る。浪岡は古く行岳と書き、南北朝より波岡、藩政期に浪岡と書くようになった。津軽内陸部と外ヶ浜(そとがはま)や南部地方を結ぶ重要地点で、早くから開けていたと思われる。建武二年(一三三五)三月二三日「山辺郡政所」宛の陸奥国司北畠顕家国宣(遠野南部文書)が出された。山辺(やまのべ)郡は現在の浪岡町、黒石市の山麓部、いわゆる東山根(ひがしやまね)の地と思われるが区界は不明で、政所の所在地も諸説があって定まらない。顕家の子孫を称する北畠氏が浪岡に住みついたのは、津軽地方における曾我氏・安東氏・南部氏・工藤氏の勢力関係と南北朝時代の推移からみて、南部守行の応永年間(一三九四―一四二八)に北畠顕邦入部の説が妥当だろう。一六世紀の北畠具永・具統・具運の三代は朝廷から官位を得ている(言継卿記)。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「浪岡七郷」という呼称があり「葦町(よしまち) 本郷 苛沢(あいさわ) 皐淵(そうへち)川 百々郷(ととのこう) 験所寺(けんちやうぢ) 行岳(なみおかの)郷 達叟時(たつそうとき)浪岡ト書替也」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by