浪岡鯨児
没年:安永9.10.20以前(1780.11.16)
生年:生年不詳
江戸中期,上方の浄瑠璃作者,雑俳宗匠。浄瑠璃作者としては,宝暦1(1751)年以来並木鯨児,浪岡鯨児,浪岡黒蔵主,黒蔵主などの名で豊竹座の「一谷嫩軍記」「嬢景清八嶋日記」などの合作に参加した。浪岡橘平,浪岡蟹蔵と名乗ったこともあるか。雑俳の面では,紀海音の女婿模稜舎潘山に師事し,朝濤館(閣)啓子(字)と名乗り,大坂堂島に住した。なお鯨児の名は,はやく享保14(1729)年の雑俳選集にみえ,そして約40年後の明和7(1770)年の戯作『穴意探』には「浪岡啓字老足」と録されている。<参考文献>井口洋「浄瑠璃作者黒蔵主」(『国語国文』1971年1月号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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浪岡鯨児 なみおか-げいじ
?-1780 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
寛延4年大坂の豊竹座の「玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)」に作者のひとりとして名前をつらねる。時代物を得意としたが,合作がおおい。「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」が有名。雑俳点者としても知られる。安永9年10月20日死去。前名は浪岡橘平。別名に並木鯨児,浪岡蟹蔵。号は黒蔵主(こくぞうす)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の浪岡鯨児の言及
【一谷嫩軍記】より
…1751年(宝暦1)12月大坂豊竹座初演。並木宗輔,浅田一鳥,浪岡鯨児,並木正三らの合作。宗輔が三段目までを書き,没後に浅田らが完成したと伝えられる。…
【倭仮名在原系図】より
…5段。浅田一鳥,浪岡鯨児,並木素柳らの合作。1752年(宝暦2)12月大坂豊竹座初演。…
※「浪岡鯨児」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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