(1)人形浄瑠璃。時代物。5段。角書〈那須野狩人那須野猟師〉。浪岡橘平,浅田一鳥,安田蛙桂作。1751年(宝暦1)正月大坂豊竹座初演。謡曲《殺生石》や紀海音の浄瑠璃《殺生石》(享保(1716-36)初年ごろ,大坂豊竹座)などを基盤に脚色された作品で,三国伝来の金毛九尾の狐の伝説を素材とし,それに鳥羽院の兄薄雲王子の叛逆事件を絡ませて複雑な筋立てを展開させたもの。玉藻前を狐ではなく人間として設定しているところに独自の作意があった。同じ月,京都の都万太夫座で初世中山新九郎らによって歌舞伎化もされている。ただしいずれも再演はされていない。(2)人形浄瑠璃。時代物。5段。角書〈絵本増補〉。近松梅枝軒,佐川藤太作。1806年(文化3)3月大坂御霊境内芝居初演。1804年から刊行されていた読本《絵本三国妖婦伝》の人気に刺激を受け,(1)に対して新しく大幅な改訂を施した作品。初段は天竺,二段目は唐土,三段目以下は日本を舞台として妖狐が数々の悪行を尽くすというスケールの大きな構想を繰り広げたものだが,そのうち,三の切,四の切にはそれぞれ前作の二の切,三の切が採り入れられている。著名な故事や伝承を多彩に活用した波瀾に満ちた物語の展開と,スペクタクル性に富んだ華やかな演出とが好まれてしばしば通しでも上演されてきたが,しだいに三の切の〈道春館の段〉(通称《玉三(たまさん)》)のみが独立して行われるようになった。そこには,進んで犠牲になることを競い合う義理の姉妹桂姫と初花姫の双六の勝負や,悪人と思われていた上使鷲塚金藤次による意外な真相の告白など,多くの劇的な趣向が構えられている。(3)歌舞伎狂言。時代物。1811年(文化8)7月江戸市村座に出された《玉藻前尾花錦繡》が(2)を最初に歌舞伎化した作品らしい。作者は4世鶴屋南北,福地久助ほか。その後,浄瑠璃と同じ《玉藻前曦袂》の名題のものが繰り返し上演され,今日ではやはり〈道春館〉中心の演目となっている。なお,4世南北には,上記のほかにも,《三国妖婦伝》(1807年6月江戸市村座),《玉藻前御園公服(くもいのはれぎぬ)》(1821年7月江戸河原崎座)など,玉藻前伝説に取材した作がある。
執筆者:原 道生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。近松梅枝軒(ばいしけん)・佐川藤太合作。1806年(文化3)3月大坂・御霊境内(ごりょうけいだい)芝居初演。三国伝来の金毛九尾の狐(きつね)の伝説に、鳥羽(とば)院の兄薄雲王子(うすぐものおうじ)の反逆を絡ませた構成で、浪岡橘平・浅田一鳥(いっちょう)・安田蛙桂(あけい)合作により1751年(寛延4)1月大坂・豊竹(とよたけ)座初演の同題の浄瑠璃を大幅に改訂した作。三段目切(きり)の「道春館(みちはるやかた)」が有名で、歌舞伎(かぶき)でもしばしば独立して上演される。薄雲王子は右大臣藤原道春の姉娘桂(かつら)姫を妻に望み、退けられると、鷲塚金藤次(わしづかきんとうじ)に命じて姫を討たせようとする。道春の後室萩(はぎ)の方は拾い子の桂姫に義理をたて、妹娘初花(はつはな)姫を差し出そうとするが、金藤次は桂姫の首を打ち、自分の実の娘だったことを告げ、王子の悪計を白状して死ぬ。進んで犠牲になることを競って双六(すごろく)で勝負する桂姫・初花姫の哀れさ、萩の方の複雑な母性愛の表現、金藤次の「もどり」(悪から善に立ち返る表現)などが見どころ。なお、このあと、参内した初花姫に九尾の狐がのりうつり妖姫(ようき)玉藻前となって騒動を起こすという展開で、近年、人形浄瑠璃でも歌舞伎でも通しで上演されることがある。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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