海老塩浜(読み)かいろうしおはま

日本歴史地名大系 「海老塩浜」の解説

海老塩浜
かいろうしおはま

[現在地名]五日市町海老園かいろうえん一―二丁目・五日市一丁目・楽々園らくらくえん一―四丁目・隅の浜すみのはま一―三丁目・美の里みのり一―二丁目・中央ちゆうおう一―二丁目

五日市村南西部の干潟を埋立ててできた新開の村。西は佐方さかた村に接する。「芸藩通志」に「万治の頃、斥鹵を墾て新田及び塩田とし、一村をなす、海老山の下なるを以名つく」とある。新開成立年次を万治元年(一六五八)あるいは同五年とする説があり、また近世以前に湯蓋道空なる者の開発とする伝えもある。広島藩蔵入地であった。

延宝三年(一六七五)の海老新開地詰帳(五日市町役場蔵)によれば、塩浜二一町二反余で分米三四三・九八八石、田八町八反余で分米八二・二一六石、畠二五町一反余で分米二〇八・四五石、屋敷八畝余で分米一・二一五石で、合わせて畝数五五町三反余、高六三五・八六九石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報