深地城跡
しんちじようあと
[現在地名]小千谷市天竺町
信濃川に魚野川が合流してまもなく、信濃川左岸の深地の岨と称する断崖があり、その突端にある。眼下にかつての船着場を見下ろし、信濃川と湯殿川を自然の水濠とし、南部は空堀で固める。船渡城とも称し、三国街道における信濃川の渡河地点を扼していたものとみられる。「温古之栞」によると、南北朝期に上杉憲顕の将大関兵部が築いたと伝え、戦国期には小国(現刈羽郡小国町)の新保氏が居城していたが、永正七年(一五一〇)長尾為景と上杉顕定の争いに上杉方に味方した新保喜右衛門は戦死。のち為景の臣深地入道時景が居城したという。天文年中(一五三二―五五)時景死後、廃城となったらしい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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