深江城跡(読み)ふかえじようあと

日本歴史地名大系 「深江城跡」の解説

深江城跡
ふかえじようあと

[現在地名]深江町馬場名

立馬場の古城たてばばのふるしろに築かれた中世の城跡。跡地の水田地帯を城谷しろたにと称している。築城年代は未詳ながら、文永二年(一二六五)深江に地頭職を得て長く領知していた安富氏にかかわる城館とみられ、天文年間(一五三二―五五)その一〇代という安富貞直が築城したという。天正一〇年(一五八二)龍造寺氏の勢力拡大を阻止するため島津氏が島原半島に兵を派遣、同年一一月高来たかく郡に派遣されていた山田有信より「深江」で龍造寺氏の軍勢小競合いがあり、「終日手火矢野臥にて、敵三人討取」ったことなどが報じられている(「上井覚兼日記」同年一一月二五日条)。島津氏は有馬に在陣する川上久隅らに対して深江および安徳あんとく(現島原市)を攻め破るか、安富左兵衛尉(有馬氏の家老、晴信の伯叔父)を懐柔することを指示しており(同書同年一二月二日条)、同一一年五月には安徳城が陥落、安富氏も安徳氏とともに有馬・島津氏側に下り、奉公を申出たので、番衆・地下衆が両城に派遣された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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