日本歴史地名大系 「深江村」の解説
深江村
ふかえむら
現深江町域を村域とする。南東部は海に臨む。古江名に
バテレン追放令後、一五八八年(天正一六年)布教が再開され、フカエでは新たに五〇〇人がキリシタンになっている(フロイス「日本史」)。慶長一六年(一六一一)銘を最古とするキリシタン墓碑群(九基)がある。日本イエズス会管区長マテウス・デ・コウロスは、江戸幕府の同一七年の禁教令のあとも布教を継続していることを証明するために徴収した元和三年(一六一七)のイエズス会管区長宛のキリシタン連判書付に「深江村」の印藤甚平しめあん・馬場半右衛門はるとろめ・城戸九兵衛はう路など、キリシタンの代表者とみられる五名が署名している。
深江村
ふかえむら
現二丈町域のほぼ中央に位置し、西は玄界灘に面する。南は
深江村
ふかえむら
付近は「万葉集」巻三に歌われる「笠縫の島」の地で、「延喜式」(内匠寮)に伊勢斎宮の菅蓋の材料を供給したとある摂津国笠縫氏の居住地といわれ、現在、深江稲荷神社境内が摂津笠縫邑跡として府の史跡に指定されている。「古事記伝」に「此地など今は島に非れども、古は凡て此郡内など、川々多く流れ合て広く沼にて海の如く、舟の往来て、まことに島にてありしなり」とされるように、古代の深江一帯は
深江村
ふかえむら
深江村
ふかえむら
深江村
ふかえむら
深江村
ふかえむら
- 富山県:砺波市
- 深江村
深江村
ふかえむら
- 石川県:羽咋市
- 深江村
羽咋村の東、
深江村
ふかえむら
- 大分県:臼杵市
- 深江村
臼杵湾に北面し、西・南・東は
深江村
ふかえむら
深江村
ふかえむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報